市原市総合計画基本構想で位置づけられた都市交流核の一翼をになう地区として、五井駅東口の整備事業が提案されました。とかく東口整備事業のみがクローズアップされがちですが、都市交流核づくりの一部分だということを、まずは押さえておきたいと思います。
プロポーザル方式により書類審査の一次選考、プレゼンテーションでの二次選考が行われ、最終的に地元区画整理組合の準備会でイトーヨーカドーに決定したということを聞いております。
そこでまず今回の整備事業における、地元区画整理組合準備会と行政、あるいは行政をトップとする協議会の責任の範疇についてお伺いします。
最終的な企業パートナーの決定は準備会となっていますが、少し矛盾する点があるのではないでしょうか。確かに東口の50haは組合施行ですので、その箇所だけでしたら準備会の範疇ですが、企業に求められている提案は五井駅周辺市街地を含む都市交流拠点をどのように捉えるかを第一としています。
区画整理事業については組合施行ということでは、事業責任は組合ということになりますが、前段で申し上げましたようにこの事業の目的を考えると、果たしてそれでよいのかということです。各機関の責任の範疇について、具体的にお聞かせください。
今後「基本計画案」がつくられていきますが、この基本計画の対象になる区域はどこまでになるのでしょうか。また事業計画については対象範囲はどこになるのでしょうか。プロポーザルで提案された内容との整合性、基本計画と事業計画との整合性についてもお聞かせください。
市原市の特徴の中でマイナス面として、中心核がないということが言われてきました。過去、総合計画に位置づけられながらも実現に至っていないというのが現状です。なぜ実現に至らなかったのかということですが、必然性にかけたことや、計画の全体像が市民レベルで共有されなかったこと、計画が引き継がれなかったことなど、推測ですが考えられます。今回は総合計画においてこれまでの中心核より更に広がりをもつ、「都市交流核」として位置づけられました。その交流の中心になると思われるものが、五井駅東口整備事業ということでしょう。名だたる街には中心といわれる場所があります。確かにそういう意味では中心核は欲しいところですが、では何をつくったらよいのか。現在提案されている大型ショッピングセンターを中心とする整備計画が本当に市民の望む中心核づくりであり、50年100年後に名実ともに「ここが市原の中心です」という、誇りを持って示せるものなのか、確信のなさも含めてかなり疑問です。
先般、東口関連もあってアメリカ視察に行きましたが、そこで学んできたことのひとつは「まちづくり」には終わりがないこと。挑戦しようとする人々の意思の問題が重要だということです。抽象的に聞こえますが、今回の東口および都市交流核づくりにおいても同じことがいえます。必要なことは、この根本のことをきちんと確認し、合意を図っておくことです。
「市原の中心核としての都市交流核を作るんだ、その姿はこんなイメージで、何年かかかっても作り続けるんだ。」ということを市民に投げかけ、首長が変わっても計画が引き継がれるようにしなければ、50年100年を考えたまちづくりはできません。あの歴史の浅いアメリカでさえも、何十年もかかって魅力ある街が形成され、しかも今も見直し、手直しがされ続けているということでした。今回の整備計画は「線引き見直しの時期」の関係ということで、非常に急がれているように感じますが、市民の合意作りが絶対必要です。市長や行政や地元地権者、議会だけでこのような大事業はできません。見解をお聞かせください。
くりかえしになりますが、この計画が中心核づくりとするならば、できるだけ早く中心市街地活性化基本計画の見直しも含めて、全体像を示すことが必要なのではないでしょうか。ご見解をお聞かせください。