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市内に不法投棄された産業廃棄物と残土処分場の現状はどうなっているのでしょうか。
かつて産廃を山積みしたダンプが走り、あちこちで不法投棄された産廃の山に火災が起こることもたびたびでした。そして、今も残土を積んだダンプが列をなして走っています。
一方で子孫に故郷の美しい野山を残したいという取り組みも始まっています。
産廃の不法投棄場所と残土処分場
○産廃(70カ所) △残土(79カ所)

80年代半ば、バブルの時期から、千葉県は産業廃棄物の不法投棄の現場となってきました。特に都心に近く、人目につかない谷津田の多い市原市では、組織的な大規模不法投棄が繰り返されてきました。
住民の運動、99年に始まった県と県警による取り締まり強化、堂本知事の誕生、02年「廃棄物の処理に関する条例」制定等により大規模な投棄は沈静化してきました。
一方でゲリラ的な小規模の不法投棄や、まがいものの「残土」の不適切搬入は今も後を絶ちません。
県や市、警察の態勢、地域住民の運動が不法投棄への大きな抑止力となります。
荒涼とした現場は草におおわれて、一見、不法投棄の場所とわからないところも多くなりました。しかし、放置されたままでは、土壌や地下水の深刻な汚染につながるおそれもあります。莫大な費用がかかるといわれますが、効果的な処理の方法を練り上げたうえで、撤去あるいは焼却といった、長期的な土壌再生への取り組みが必要です。(井上)
※地図上の赤い印をクリックしてください。

「文化の森」はオープンしたけれど…… 福増・能満周辺の産廃

97年前後から組織的な不法投棄が行われていましたが、堂本知事になった02年、全国初の「産廃条例」ができてやっとゴミの搬入と焼却が止まりました。市内では一番産廃の不法投棄が集中する地域で、残土処分場もあります。
↑周辺地区も含め産廃の不法投棄は28カ所。残土処分場は県の指導もほとんど入らぬままに放置されており、正確な量は不明。写真は放置された「クレセント」の現場。(05年1月)
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勝間の硫酸ピッチ 地元の声がやっと届いた!

02年に捨てられた硫酸ピッチのドラム缶629本。強酸性のためドラム缶が腐食して漏れ出し、重油を流したようにどろどろで強烈な臭いがしていました。
↑02年、軽油の密造過程で生成される有害物質の硫酸ピッチが放置。 地元の皆さんの努力が実り、今年3月にやっと県が3000万円の費用を使い、業者に代わって執行し、中和処理までを終えました。一安心ですが、残った中和処理物はどうする?
↑06年3月、県の代執行にてようやく中和処理を終えたが……。

ここは山菜の宝庫です! 栢橋の残土処分場

木更津との市境にあたる栢橋(かやはし)はかつて緑濃い森林におおわれた地下水の涵養地帯でした。ここに6年前、残土処分場ができ、毎日五百台からのダンプによって首都圏の残土が搬入されました。事業者はずさんな工事を行い、あちこちに土砂崩れを起こし、次々と違法な拡大をしてきました。
現在業者名を変えて第四次の埋め立て中。今後も事業の拡大が続く恐れがあります。
↑28.5haに、316万立法メートルの残土が入り、すっかり裸地になりました。周りの山林に排水が流れ込んで樹木を枯らす、自分の山に行く道が埋められて入れなくなった、など林業を続けることが困難となる方が出てきました。(06年4月)

乱舞する蛍を見に来て! 古敷谷

6年前、山の谷間にダンプ3000台分の産廃が捨てられました。地元町会が中心となり、環境対策委員会を発足、富山地区全戸の請願署名を集めた結果、半年後にようやく止まりましたが、産廃の山は現在もそのまま残っています。
この事件を教訓にして地区のみなさんが山と里道や小川の手入れを始めました。新緑の里山やカワニナが住む小川のすがすがしいこと!初夏になると蛍が乱舞し、秋にはきのこがたくさんとれるそうです。
↑子どもたちが作った看板。「里山の会」の方の話では、大人たちの活動をみて「地域の誇りである」と作文に書いてくれた子どもの声が、山の手入れをする力になっているとのこと。(06年4月)
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市原の不法投棄の撤去費用は
少なくとも
市で把握している不法投棄場所は70カ所。量がつかめている37カ所の108万立法メートルを撤去するためには、少なくとも432億円必要といわれている!
残土処分場は、 98年以降の県条例で許可されたものだけで79カ所、面積224ha、土量は1561万立法メートル!

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いちはら市民ネットワーク通信(No59〜No97)
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